よく子供に注意するときに「〇〇しちゃダメよ」と言いがちである
なぜだろう?
ここが今の日本の教育に繋がっているような気がする
正解不正解や常識みたいなものを大切にして教育をしていく意外にこれは後々問題になってくる教え方なのではと最近思う
例えば、自分が育ってきた環境で当たり前だと思ってきたことが外の世界に出たら違うことがたくさんあるその小さいコミュニティでの常識を他のコミュニティ
でも同じだと錯覚してしまう現象が起こる
環境が変わって戸惑うことがたくさんある
そうなると「どちらが正しいのか?」という一方の選択をしようと脳が働く
しかしそもそもそのどちらかを選択するいう行為自体少しおかしいのかもしれない
どちらも正解だとは考えられない思考になってしまっている
「正しいもの」みたいな教育というものは、矛盾が生じた時に混乱する思考を構築してしまうような気がする
大人になった時に私が直面した問題である正しさを求めれば求めるほど他人とぶつかり、疎遠になっていく
なぜ?常にその葛藤との戦いだった
ある日ふと思ったことは自分の判断基準は実は少し違うところにあることだった
それは母親の「お母さんそういうの好きじゃないな」「お母さんそれ嫌いだな」という母親の言葉だった
意外に自分の感覚ってこの部分がかなり大きく占めているようだ
母親が嫌がるからやめよう
とか
母親が悲しむからやめよう
とか
母親を喜ばせたいとか母親だったらどうしたかな
とか
そんなものが自分の判断基準になってきた気もする
正しいとか正しくないとかより好き嫌いの方が、後々、本人が判断しやすくなるし
それなら人と違うこと、食い違うことも理解できるし、自分の選択に責任が持てる
正しさというのはなかなか難しい
教えるは好き嫌いのが分かりやすい
しかしそれには教えるほうが自らの信念や正しいをもって誠実に行動しなければ説得力はないのかもしれない。